あらかじめ言っておくが、中国のロックに対して持っているイメージを一度括弧にくくってもらいたい。

そもそも、中国ロックというと人はどんな名前を思い浮かべるだろう。Re-TROSや万能青年旅店といった有名どころや、もっと懐かしい名前を好む人も多いかもしれない。ここ最近ではSNS上で有利社群、紅髮少年殺人事件なども話題になった。

今回の記事では、そういった定番や歴史の復習、偶発的な注目度よりも、現在の中国インディーロックの地形を測る基準点となる10のバンドを挙げた。それぞれが、その先に広がる場景を展望し得るものになっているはずだ。

鼠鼠鼠 The Three Mice

広東省深圳市 やんちゃと真面目の交錯する南方インディーの新しい顔役。 ベッドルームの質感と轟音が同居する佇まいで、UKインディーロックを源流とするノイズポップを展開する。リーダーでギタリストのbolinの無駄に激しいステージアクションも見ていて飽きない。

おすすめ:『鲁蛇俱乐部 Looser Club』『Stereo Mice Lab』

闪闪 Hex in Sparkle

四川省成都市 パンクのスピリットをそのままダンスミュージックに移し入れたライオットガール。 怒りそのままの形で表現するパンクのスタイルから一歩進み、女性自身の声で物語る形式をとることで、かえって表現としては力強くなっている。

おすすめ:『Fake Orgasm』『自我革命』

奶盖儿 Milk Guard

江蘇省南京市 フォークトロニックなシューゲイズ。 メンバーの出身地の方言を取り入れ、逆にコスモポリタンなタッチを獲得している。ローカライズともグローバライズとも異なるアプローチは目立ちにくいが、心に染みとおる甘さと柔らかさを形作っている。

おすすめ:『Subside』『Cocoon』

梦游动物园 Sleepwalkin’ Zoo

広東省広州市 中国という文脈を越えた洗練のダークポップ。 ほがらかな学生バンドだったが、グローバルなトレンドを意識するようになったのか、現代UKインディーの地平に近づいている。単なる真似事ではなく、独特の再解釈による新鮮な響きが特徴。

おすすめ:『Birdy』『Moth』

v是兔子 Wishtoday

河南省鄭州市 新世代のエモを象徴する注目のアクト。 エモとポストパンクの間を行き来しながら、混乱した感情をそのまま吐き出す。若者のロマンチシズムと焦燥の相克を露わに表現しており、南方を中心に広い範囲で支持を集めている。

おすすめ:『超人少女』『用受傷眼神……我們』

憂鬱的亞熱帶 Yaredai Sad Sad

広東省広州市 痛切な叫びを轟音で包むエモとシューゲイズのハイブリッド。 現在は活動を休止しているが、広州エモのひとつの到達点と目されている。エモゲイズを名乗る折衷的なスタイルであるが、ノイズギターの音の壁はメランコリックなボーカルを曖昧にぼかすことがなく、むしろ鮮烈な輪郭を与える。

おすすめ:『潘博文』『動物園』

酸的房间 Acid Room

江蘇省蘇州市 中国ロックのレガシーを引き継ぐ新世代のガレージロック。 伝統的な中国ロックを血肉とした王道のガレージサウンドが魅力。様々なスタイルを高密度に詰め込みながら、それが彼ら自身の声となっているところに、次世代を担うに足る風格が漂う。

おすすめ:『搖曳山川』『真心為你』

哥伦比亚可乐 The Columbian Cola Ltd.

河南省新郷市 ロックそのものを解体する異質なポップさ。 v是兔子とともに河南ニューウェーブを牽引する新郷のバンド。ローファイな手触りとフリーキーな金切り音に執着しながら、親しみやすいメロディはいつでもシンガロングを巻き起こす。

おすすめ:『畸形語言 Malformed Language』『塑料袋』

吉米的猜想 Jimmy’s Guess

河南省焦作市 スケートボード仲間で始めた自分たちのためのBGM。 大仰な身振りもロックスターへの目配せもなく、日常に溶け込む等身大の音楽。哀愁を帯びたサーフロックが基本にあるが、それが彼らにとってもっとも自然なスタイルだという理由から。新EPには『Born Slippy』風の曲も入っている。

おすすめ:『翠光庭记』『屋頂的牙』

脱兔 Run! Rabbit Run!

雲南省昆明市 ドラムンベースとポールダンスで独自の世界を構築する女性デュオ。 実験的なエレクトロニカをここに含めるべきかは議論のあるところだが、ポストパンク的文脈では妥当な範疇だと認められる。最近ではヨーロッパツアーを行うなど、地域を越えた展開が活発。ステージではポールダンスを披露したりしている。

おすすめ:『Go Rabbit!』『I Wanna Be Your Dog (The Stooges Cover)』


ポストCOVIDの中国インディーロック概況

今回の選定の解説も兼ねて、現在の中国インディーロックの状況について、大まかに提示する。今回挙げた10の視点のその先へと進むための助けとなるだろう。また、これから中国ロックに手を出そうという人にとっての手っ取り早いチートシートともなることだろう。

各地域の特色

ここ10年ほど、国内各地で独自色の強いシーンが育った。多彩なスタイルの共存、献身的なコミュニティ、DIYを基本とした活動など共通する点は多いが、今回のリストで取り上げた地域を中心にその特徴を示す。

広州・珠江デルタ

南方DIYシーンのハブとして非常に活発な広州インディー。積極的な情報発信もそれを後押ししている。周辺都市と連続した広域シーンが形作られ、次々と注目のアクトが現れるホットスポットとなっている。今回挙げた3グループの他に、Number Girl の直接的な影響を公言する紅髮少年殺人事件、実験性の強い河边走 River, Orchestration, Walkmen!、といったアクトが同じ舞台、観客を共有する。エモシーンの層も厚く、ベテランの无高潮 Nein or Gas Musから新興アクト中西部情绪麻将 Midwest Emo Mahjong まで幅広い顔触れが並ぶ。

河南・中原

ここ数年、河南ニューウェーブとでも呼ぼうか、音楽産業的には僻地とも言えるこの地域が次々と注目のバンドを輩出している。v是兔子は南方エモシーンで屈指の人気を誇り、吉米的猜想もこの流れに含まれる。抖音(TikTok)がきっかけで突然全国区の人気を得ることになったグランジ寄りの南青や、哥伦比亚可乐のメンバーが掛け持ちするオルタナティブロック鳕鱼汉堡 Cod Burgerなど。「ロック・シティ」新郷の疯医 The Fallacy小南瓜Pumpkinsといったベテラン、そして周囲の人間の存在が若い世代を支えている。

上海・長江デルタ

海外のヘッドライナー級のアーティストが頻繁に公演を行う上海では、在留外国人が地元のシーンに参加する例も多く、上海秋天 Shanghai Qiutian はその代表例。Forsaken Autumn 以来のシューゲイズの伝統もあり、生煎唱片の本拠地でもある。近年では淡色艾尔 Pale Airを筆頭にブリティッシュロックの局地的ブームが観測されている。 上海を中心に複数の都市に跨がるコミュニティを形成し、奶盖儿酸的房间、脱力系インディーポップの动物园钉子户 Zoogazerの江蘇省もこの地域だ。個人的には杭州も熱い。

四川成都

成都はわりあい自由な気風で知られ、他地域から個性的なアクトが引っ越してくることもしばしば。西安で活動していた闪闪もそのひとつ。ロック以外にクラブ音楽やヒップホップも盛んで、2人組エレクトロニックユニット Taiga返校日 Riot in Schoolに反映されている。

昆明・西南エリア

脱兔は昆明で活動するアートコレクティブから生まれたユニット。この集団にはエレクトロユニット南方酸性咪咪 South Acid Mimi も名を連ねており、パフォーミングアート的な展開を行っている。パンクともフォークともつかない不思議なワールドミュージックを演奏する本能实业 Instinkto Industrio もこの町を拠点としており、商業的なトレンドを気にかけない姿勢がまかり通っているようだ。西南地域では少数民族の伝統的なスタイルも入り混じり、独自のアイデンティティを構築している。

湖北武漢

今回取り上げた中には含まれていないが、「パンクの首都」として親しまれている湖北省武漢市。Chinese Football の本拠地で、中国エモの心臓部でもある。日本でひとしきり話題になった张醒婵もここに属している。ポストロックやサイケデリックロックといったスタイルも定着し、両者のエッセンスを巧みに配合した沉默橙 Wordless Orange が注目に値する。

音楽スタイルの変貌

越境的折衷主義

「ジャンルからの自由」は今やスタイルの寄せ集めを表す決まり文句になってしまったが、中国ではより積極的なスタイルの折衷主義として現れる。バンドは自らの内なる声に従ってスタイルを選択し、スタイルは声のトーンを規定する。何を選択し、どう配合しているかがバンドの個性を測る基準ともなる。影響などといった言葉で単純化するのは、アーティスト自身の選択や創意を無視する暴力的な扱い方である。

中国では、海外音源が断片的・同時多発的に流入し、欧米の年代順の音楽史をなぞる形では受容されなかった。ストリーミングプラットフォームの普及する以前から脱歴史化されたリスニング体験が一般化し、自然と折衷的なスタイルが育っている。一つの基本スタイルに他の技法を接ぎ木するのではなく、最初から混じり合ったものだ。 ジャンルの境界は曖昧で、ロックとポストロックはあまり区別されない。 国外からは「独自の進化」と片づけれがちだが、昨今の国際的潮流を見ていると、よその地域より幾分早かったと解釈する方が実態に近いだろう。もちろん、特定の方向性に忠誠を示す者もあるが、それは彼らの排他性を示すものではないし、むしろシーンの多元性を表している。 まったく傾向がないというわけではない。詳しく見ていこう。

エモの台頭

ここ数年のインディーシーンは、一言で言えばエモの時代。エモにあらずばインディーにあらず、くらいの勢いがある。もともとざっくりした区分で、ポストハードコア、マスロック、ポストロックなどと重なる部分も多い。一口にエモと言ってもそのスタイルは多岐にわたる。 様々なジャンルの音楽の中にエモ性を見出だしたり、あるいはそう解釈する事例も散見される。別のスタイルのアーティストが自ら「エモ」と名乗るケースも多々ある。

若い世代の間でのエモの人気は、時代と社会に閉塞感や無力感が広がっているからだ、と説明されたりもするが、いつの世も若者の基本姿勢は teenage angst である。あまり関係ないと思う。このスタイルの音楽が観測されるのは2000年代前後からのことだが、今まで注意を払ってこなかったために、突然人気になったものと誤認してしまうのだろう。

現在のようなミッドウエスト系のエモが中国に現れたのは2010年代に入ってからのこと。武漢の Chinese Football はそのはしりだろう。地域的に見れば南方の沿岸部にやや偏り、広州のDIYシーンによる地道な活動と、彼らが実現した2016年の透明雜誌の果たした役割が決定的であったことを示唆する。

中国インディーロックにおける「エモ」という語は、すでにひとつのスタイルを指し示しているというより、ある種のムードやスタンスを示す合言葉のようなものとなっている。ロックやパンク、ポストパンクの担っていた地位は、今はここに移譲されている。

シューゲイズのリバイバル

シューゲイズのリバイバルは世界的な潮流らしい。2010年代から継続するシューゲイズ派閥のおかげもあって、中国ではこのスタイルはロックファンにとって馴染み深い様式として定着している。陰気なイメージがそれほどないのは、広州の陽気なシューゲイズ yourboyfriendsucks! の功績だろう。 ドリームポップやノイズロックと重なるシグネイチャーがあり、他のスタイルとの融合も盛んに行われている。ジャンルやスタイルというか、表現様式の呼称とみなす方が理解しやすい。上海のRUBURに代表されるポストロックやメタルとのクロスオーバーが観察できる。

今回挙げた中では、奶盖儿梦游动物园 がこの集団に属し、憂鬱的亞熱帶がエモと融合させたエモゲイズを標榜する。 I’m Fine, Thank You! And You? (IFTYAY) も感傷的なところは控えめで、シューゲイズの比率が高い。エモ寄りなバンドもあって、様々だ。

その後のシティポップ

2010年代、世界中で注目を集めた日本のシティポップ音楽にもっとも鋭敏に反応したのが中国のユースカルチャーである。 インディーロック方面では、2010年代中頃に Chinese Football のフロントマン徐波 Xuboによって積極的に紹介された。シティポップからその源流であるファンク、サーフロック、R&Bなどへと波及しポップ音楽に奥行きと立体感を提供している。

ポストパンクの退潮

スタイルとしてのポストパンクはインディーロックの中心から退いたようだ。ロシアのダークウェーブバンドによって上書きされている様子もある。とは言え、北京のKyoYokoNaja Naja などはクラシカルなポストパンクを志向しており、北方の首都では定着したスタイルとなっているし、酸的房间哥伦比亚可乐は中国の伝統的インディーロックとしてポストパンクを咀嚼している様子がうかがえる。サイケデリックロック、ノイズロック、実験音楽との重なりはオリジナルポストパンクの拡張を思わせる。

ローカル性と拡散性

中国の流行音楽は、主に国内の聴衆を対象もしめきたため、国際的な潮流とは異なった生態系が維持される。 インディーロックに着目し、もう少し詳しく見ていこう。

ローフィデリティーの身体性

ローファイ、ベッドルーム的な制作は、リソースの不足からハイプロダクションを望めないといった面も確かにあるのだろうが、そうした制約を逆手に取り、主流音楽へのアンチテーゼとして意識的に設計されている。鼠鼠鼠 の運営するDIYレーベル 小动物唱片 Small Animals Records は特にこの傾向が顕著で、所属アーティストの天然味道 Natural Flavorはその格好の例となるだろう。

インディーロックは少数派の音楽であり、商業的に最適化された主流音楽とは違った方向へ進化する。DIY的、パンク的なエートスだ。生々しい触感を通して聴衆に生活の延長としての声を届けるこの形式の正当性は、ローカルな聴衆との身体性を通じた接続によって担保される。

当然ながら、これはインディー音楽の洗練を否定するものではない。独立性は普遍的な概念であり、生まれながらにして公共化への志向を持っている。梦游动物园のポジションはその一例だ。高度なプロダクションにより英米ポップスへと接近する彼らの音楽は、英語詞の多用によってそれ自体がより多くの人へと開かれたものだというメッセージになっている。

かつて、ロックは英語で唄うものだという観念があった。西洋音楽に対する憧れやコンプレックスからかも知れない。現在ではそうした意味合いは薄くなり、中国語の歌詞が一般的だ。身に馴染んだ言語による明確なメッセージ、微妙なニュアンスの表現を追求するアーティストも多い。現在では英語は国語(官話)とは別のニュートラルな共通語として機能している。それが目掛けているのは、西洋というよりも世界一般、そして国内の聴衆もまたその範囲に含まれるだろう。

歌詞における方言の使用は通常バンドのローカル性を指示するが、南京の奶盖儿は、メンバーの出身地の言語である閩南語の響きを取り入れることによって、コスモポリタニズムな表現を実現している。ローカル性の導入が普遍性へと転化しているのだ。さり気なく、違和感を生じさせる程度の微妙なタッチでローカルとグローバルの対立を回避しており、これは洗練された手法と見ることができる。

枝を広げるフェミニストパンク

男女混合グループは以前からあちこちに見られるが、男性主導的なロックの世界では女性メンバーはお飾りや添えものと軽視されがちだ。ここ数年、女性が自らの意思を主張する光景が目立つようになった。 パンクからスタートした闪闪は、riot grrrl の足跡を辿るようにエレクトロニクスやダンスミュージックへと進み、明示的にフェミニズムの旗を掲げる。西安の属梨 Rats & Pears は、ぎざついたポストパンクのエッジでクィア性を称揚し、これまで見過ごされてきた声に光を当てようとする。北京の小王、青島のDummy Toys といったパンクスタイルも健在で、様々な形をとって女性の声を代弁し、個人が声を上げることを鼓舞している。脱兔のポールダンスも、こうした流れの中に位置づけられる。景色は変化を生じつつある。

中国インディーロックを取り巻く環境

中国流行音楽は多様化が進み、若者の音楽であったロックはその座をヒップホップやフォーク、ダンス音楽に明け渡している。音楽バラエティ番組「乐队的夏天」の成功で一時的にブーストされたバンドブームも、次第にその魔力を失いつつあるようだ。 2010年代の後半には各地の独立レーベルの多くが大資本の傘下に収まり、摩登天空をインディーと呼ぶのはもはや笑い話にしかならない。メジャー資本の流入は実務的なサポートや配給面でのメリットをもたらす一方、利益へのプレッシャーも大きく、音楽がビジネスとして扱われることへの葛藤を感じるアーティストもいるようだ。大衆音楽の収益がニッチなアーティストのバックアップへ繋がる良い循環が生まれることもあるが、独立性の維持は運営上・美学上の問題であると同時に、聴衆からの支持を左右するポイントでもある。イメージは大切なのである。 現在主流のストリーミングサービスはプラットフォームによる囲い込みも見られ、収益と結びつかないことへの不満からダウンロード販売へ移行しようとする動きも出てきた。 2010年代後半から地方の観光資源として乱立した音楽フェスティバルの多くは運営面で問題を抱え、開催直前に中止がアナウンスされる例も増加している。集客の見込みの甘さ、アーティスト出演料の高騰が主な要因だというが、文化に対する無理解もあるんじゃないだろうか。ライブハウスのフランチャイズ化が進み、各地に次々と新しい会場が開業しているが、独立系のライブハウスは賃料の高騰や集客の確保に苦しみ、業態に工夫を凝らしたり本業を別に持つことで辛うじて存続している。新興のバンドやニッチなジャンルにとってはかえって逆風となっている。これは別に今に始まった話ではないのだが。 こうした状況にあって、バンドやDIYレーベルは商業プラットフォームを駆使しつつ、フィジカルメディアやマーチャンダイズの展開を通じてその独立性を維持しようと努めている。各地ではコミュニティベースで運営されるアートスペースも観察でき、正式な公演と身内のパーティーの中間といった形式で、口コミによる動員をメインとしながら柔軟に活動している。具体的な触感と人間同士の繋がりに重点を置くその姿勢は、ロックがアンダーグラウンドだった時代への回帰と見えなくもない。 ここ数年、流行ロックにフォーカスした「インディー」レーベルが人気を博しているようだが、今回扱ってきた自律的なインディーシーンとは別の現象として扱うべきだろう。